2024年4月18日木曜日

ぽた~じゅ屋✖️韓国⑦ これが正しいご近所付き合い

ゲストハウスの近くに着いた頃、小腹が空いて再びカンジャンシジャンに寄りました。春雨炒めとトッポギを頼んだら海苔巻きも出てきて、夜の12時過ぎに、胃袋がはち切れるほど食べてしまいました。ただ、屋台の白熱灯の下、立ち込める湯気にくるまって食べる韓国料理とマッコリは格別です。
翌朝、起きて散歩をしても、お腹は満腹のまま。当初の予定では、旅の期間中「全ての食事はスンドゥブ」と決めていましたが、市場やストリートで目に入るものを、好奇心に任せて食べていたら、結果、殆どスンドゥブを食べていません。それほど韓国には魅力的な食べ物が多い。

実は昨日の交流会で友達ができました。カフェから居酒屋までずっと僕の隣にいたイジーさんです。彼女にローカルな場所に連れていって貰えるようにお願いしていました。イジーさんには弟がいて、リムさんといいます。「NARUTO 」から日本カルチャーにハマったそうです。独学で日本語検定の一番難しいレベルをクリアしていますが、日本人との接触は僕が初めてだそうです。
今日はイジーさんとリムさんに、おすすめの場所に連れていってもらえることになっています。
待ち合わせは、チョンノ3街駅に午後1時。僕は、張り詰めたままの胃袋を引きずってゲストハウスから2km程度の距離を歩いて向かいました。待ち合わせの場所に着いた時には、二人の姿はなく、遅れているようでした。
10分ほど辺りを散策していると、イジーさんから電話がありました。駅についたというので待ち合わせの場所に戻ると、彼らが青ざめた顔をして立っていました。
僕が「やあ、昨日はどうも!」と、笑顔で軽く挨拶をすると、二人が、「遅れてしまい、誠に申し訳ございません!」と深々と頭を下げました。どうやら来る途中にお腹を壊し、トイレに行っていて乗り換えの電車を逃してしまったそうです。
特に、リムさんの「反省の顔色」が凄まじく、交通事故でも起こしたかのような表情をしています。僕は「いいから、いいから」と彼らをなだめましたが、どうしてもこわ張りがとれない様子。とっさに僕は「韓国に来てから、キムチとか発酵したものを食べてるからか、昨日は8回ウンコしたよ。だから大丈夫!」と、いらぬ自分の腸内事情について話しました。手段はベストでないにしろ、クスッと笑ってくれたので、場は和みました。

イジーさんには「ランチはスンドゥブで」とお願いしていて、彼らの好きなお店を紹介してもらうことになっていました。駅から少し歩いて、メイン通りからちょっと入ったところにあるお店に入りました。ここで僕は赤いオーソドックスな「スンドゥブ」を頼みました。リムさんは少し具材が違うもの。イジーさんは何やら白いものを頼んでいます。
しばらくして、土鍋の中で煮えたぎる三つのスンドゥブがテーブルの上に置かれました。このお店では、ご飯が別の石鍋に盛り付けられています。リムさんが、石鍋からご飯をお茶碗に移す食べ方を教えてくれました。そこにスンドゥブのスープをかけていただきます。
石鍋にこびりついたご飯には、お茶をかけて蓋をし、しばらく蒸らします。
二人は僕にそれぞれのスープを味見させてくれました。イジーさんが頼んでいた白いスンドゥブが絶品でした。摺りゴマでとろみがついたスープに、牡蠣とキノコの旨味が詰まっていて、感動的な美味しさでした。
食べているうちに、蒸らしておいた石鍋のご飯が頃合いになり、蓋を取って、スプーンで鍋肌を引っ掻きます。お茶で柔らかくなったお米を口に運ぶと、まあビックリ、これも絶品です。お茶はジャスミン茶が淡くなったような香りで、塩気はないのですが、お茶とお米の風味がたまらなく上品でした。
(このお茶漬けが極めて美味!)

店を出て、次に僕たちは喫茶店に入りました。彼らが勧める喫茶店はこれまた素敵。古い木造の建物で、内装も古い酒蔵のような造りでした。ここではお茶をいただきました。珍しいものをイジーさんに教えてもらい、言われるがままに注文したところ、とても不思議な、凄い味のお茶でした。かつて喉を痛めたときに飲んだ漢方の味。木の皮に砂糖をかけて噛ったような苦さと甘さ。うーん、飲み干すのが苦しかった。笑
ここでも、イジーさんが注文したお茶が美味しかったです。
(苦くて甘い、あの頃恋のような味のお茶😁)

体が暖まったところで、市内観光に出ます。

古宮の回りをグルーっと歩きました。一緒に歩いていると、彼らにも僕にも発見があります。現地に住む彼らにとって何でもない日常こそ、外国人にとってはとても新鮮だったりします。
N字型の新聞社ビル、バスの運転手に向かって怒鳴っている警官、通りを埋め尽くす屋台、アメリカを「自由の父」として反ムン・ジェイン政権デモをする数千人規模のデモ行進。
リム兄弟と町を歩くと、気になったことをすぐに聞けるので、好奇心が知識へと昇華されていきます。そして、僕の視点を通して、イジーさんとリムさんは、韓国文化の個性を知るのでした。
(NはnewsのN??)
(反ムンジェイン政権のデモ隊。数千人はいた。手に持つ旗には韓国🇰🇷とアメリカ🇺🇸の国旗がプリントされている。彼らにとってアメリカは「自由の父」のシンボル)

歩き疲れて、夕飯は僕の意向でカンジャンシジャンに行くことにしました。やはり現地の人たちと歩くと、市場での体験も何倍も奥深いものになります。興味があっても手が出せなかったものにもチャレンジできるようになります。活きたタコの刺身や、乾燥させた蚕(かいこ)のスープは、見た目は恐ろしいですが、口に入れると美味でした。ブツ切りのタコ足が虫のように皿で跳ねる光景はホラーでしたが、この上なく新鮮で、とても美味しく頂きました。しかし蚕の方は、味は良いものの見た目がどうしても怖くて最後まで食べれず、イジーさんにパスしました。ピーナッツに味も食感も近いです。笑
パスを受けたイジーさんは「美味しいのにぃ」と言いながら、パクパクと何個も蚕が乗ったスプーンを口に運んでいました。
(活タコの刺身。皿の上でウニウニとうごめく。行き交う欧米人はビックリして覗き込んで来る。「踊り食い」の習慣がある日本人にはハードルはさほど高くないかも)
 
(蚕のスープ。現地の人々は普通に食べている。紙コップに200匹ほどの蚕が!味も食感もピーナッツだけど、歯で噛む度に口のなかで蚕が潰れるイメージが回ってしまい、ギブアップ。(^_^;))
(盛りだくさんの刺身の盛り合わせも新鮮!)

楽しい時間はあっという間に過ぎ、リム兄弟ともお別れの時間です。
一緒にいる間、彼らはしきりに「ずっと日本人と会って話をするのが夢だった。だから、ずっと勉強してきました。今日は信じられないくらい嬉しい」と言っていました。前述の通り、彼らにとって僕が初めて言葉を交わした日本人です。
今回の韓国旅では、何人も彼らと同じように、「日本の人々と友達になりたい」という韓国の若者たちに出会いました。
これを読んでくれた皆さんは、偏りのある情報に惑わされることなく、どうかそのことを知っていて欲しいと思います。

イジーさんとリムさんは、今年(2019年)の12月に東京に来て、我が家にステイします。まめに連絡を取り合ってスンドゥブ・サムゲタンパーティーを企画中です。😁
是非、ご参加ください。

おとなりの4歳児


杉並区のメゾネットタイプの家に住んでいる。
メゾネットとは一階と二階を専有していて、おとなりと壁を共有した平屋のような造りになっている建物。
三世帯の戸建てをくっつけたような状態の我が家は通り側。隣にはお父さんとお母さん、子どもが二人(小学生の男の子と保育園に通う4歳の女の子)が暮らしている。
こちらのお宅の子どもがはしゃぐ声や、親御さんに叱られている声がときどき共有した壁から聞こえてくる。当然、こちらが喧嘩する声もあちらに筒抜けだ。
お互いに騒がしいのだけれど、重大な共通点がいくつかあって理解し合えるのでとても仲良くさせてもらっている。
あちらさんも飲食業を自営で営んでいて、音楽もやっているので、夜型の生活や楽器の音もとても寛容にしてもらっている。

おとなりさんが出かけるときは必ず家の前を通る。晴れている日は僕はたいていは窓を開けっ放して網戸にしているので、子どもたちが出かける様子を見ている。喋る声も聞こえる。ある日は息子くんが学校でお友達のズボンを下ろすいたずらをしてお母さんが呼び出されたということで、こっぴどく怒られていた。あるときは虹色のレインコートを頭から被った娘ちゃんが雨にもかかわらず元気に保育園での出来事をお母さんに伝えていた。とても人懐っこい子たちで、ある日「おじさん何してんの?」と話しかけてきたことから交流が始まり、毎日からかわれている。
「おじさん」ってそれまでほとんど言われたことがなかったけれど、この子達に言われて自分が中年の風貌をまとっていることを認めた。お母さんが「お兄さんでしょ」とたしなめていたのでお兄さんで定着してくれないか、という淡い期待もあったけど、ついには僕の中でもオジサンで納得した。
 お父さんの帰りが遅いので、早目にお母さんが経営するカフェの営業を切り上げて子どもたちの送り迎えやお世話をする、というオペレーションになっているようで、お手伝いとはいかないまでも、ときどきうちで預かって面倒を見たりしている。この間はメイク道具を使って娘ちゃんに顔に落書きをされまくった。これが気に入ったらしく、この4歳児はその後も僕の膝に乗ってきて顔に落書きをしてはケタケタ笑っている。3月はお兄ちゃんの誕生日でお母さんから苺のショートケーキが好きと聞いてホールのケーキをプレゼントした。このときからお兄ちゃんは僕のことをオジサンとは呼ばずに「あつしさん」と呼ぶようになった。末恐ろしいヤツめ。
 今日も、お母さんが慌ただしくしていたので娘ちゃんを預かっていた。ボール遊びをして、全身を使って「とあーっ!」とボールを投げたのになぜか後ろに飛んでいったことに二人して大笑いし、外にハンモックを出してゆらゆら揺らしながら時間を過ごした。はちきれんばかりの笑顔になってくれることが嬉しく、遊んであげているのではなく、遊んでいただいているような気持ちにもなった。
ハンモックに仰向けになって月を見て「月って食べたらマズそうだよね」と言ってみたり、「おじいちゃんこないだ死んじゃった」とケロッと言ってみたり、抽象的な詩のよう。散漫だけどハッとさせてくれる。
 子どもってなんて素敵で尊いんだろう。