2024年4月21日日曜日

別に年収か1000万円でなくても

新NISAが始まって投資を始める人がかなり増えているという。日経平均も一時4万円を超えていた。年初から数十パーセントも上がっているということなので、すでに多くの人が利益を得ていることになる。羨ましい。僕も、新NISAが様々なメディアにとりあげられていたので教養として勉強していた。仕組みもある程度は理解していた。これは良い制度改正だとは思いつつ二の足を踏んでしまった。当面は使う予定のないお金を去年のうちににぶっこんでいれば、利ざやで高級フレンチのコースくらい食べられたかもしれない。ワインのペアリング付きで。
今までありとあらゆる投資で痛い目を見てきたのでどうしても勇気が出なかった。個別投資、投資信託、FX、仮想通貨、保険商品、もれなく損している。どれも僕が手を出した途端それまでのチャートの傾向と逆の動きをし始めた。そして、下がっていくグラフが怖くなって手を引くと元通りの流れに戻る。高値で買って安値で売る、という綺麗な負け。そんなことを繰り返してきた。トラウマである。だから新NISAも、どうせ今回も損をするのだ、という自己暗示を解くことができず機を逃してしまった。

つくづくお金とは縁のない人生だった。父はファイナンシャルプランナーの一番むずかしい資格を持っていて、僕に度々アドバイスをくれたけど、彼の未来予想はことごとく外れ、全て裏目に出た。けれど、僕には変な金運はあって野垂れ死ぬ寸前で神がかり的な奇跡が起きて毎回救われた。
キッチンカーを始めるときもそうだ。サラリーマン時代の貯金が底をつきそうなときに、友達から教わった仮想通貨が異常な値上がりをした。残金を注ぎ込んでいくらか利益が出た。起業の費用はそれでまかなえた。
(その後、キッチンカーが軌道に載ると、塩漬けにしていた仮想通貨は下がり、ばっちりマイナスに転じている)
40代になるまで100万円以上お金が貯まったことがないので、将来への不安はそんじょそこらの人々には負けない。人並みに暮らせるようになった今でも、お金の使い方はほとんど以前と変わらない。

福祉の発達した北欧諸国とは違って、日本は子育てにも、老後にもお金がかかる国だ。社会保険料の現役世代の負担は増えていく一方で、年金もおそらく十分にはもらえない。お年寄りでさえ「自分の葬式代くらいは」と死んだあとの心配をしている。これではお金がないと寿命が来ても葬式代と墓石代のない人は死ねない。
「老後2000万円問題」みたいなメディアの煽り記事を目にすると、出版社の思惑通りに不安感を掻き立てられている。

何年か前に『F I R E(Financial Independence, Retire Early=経済的な自立、早期リタイヤ)』という言葉が流行っていた。「FIRE」とは、若いうちに生涯にかかる分の金融資産を手にして残りの余生を働かずに暮らすという意味だ。
 SNS上に流れてくる嘘か真か「自由」を手にした人たちの話。青い海をバックにピニャ・コラーダを飲んでいる男女の写真を見ていると、経済的な不安からの逃げ道は彼らのように一発逆転ホームランを打ち上げるしかないように思えた。

しかし、このあいだ散歩中に「あれ、待てよ」とひらめいた。

働くことが楽しく、体さえ壊さなければずっと続けていけそうな仕事をしてるなら、すでに経済的な不安から解放されていると言えるんじゃないか、と。老後2000万円問題だって、仕事をリタイヤする前提ならそのくらい必要なのかもしれない。でも、老後も楽しく働けるならば2000万円くらいは稼げる。75歳までやるとしたら週2回営業すればそのくらいにはなる。人間が食べることをやめない限り、ぽたーじゅ屋を必要としてくれる人はいるだろう。

これが前職なら辛い。大量の書類に埋もれる毎日だった。紙に埋もれて人生を終えていくところを想像してゾッとした。1日中書類作業に追われて、それを何十年も続けた先に預金通帳に印字された2000万円は、僕の人生数万時間の代償として安すぎないか。そう思って自分で事業を始めた。やってみて、とても楽しい。これならずっと死ぬまでやりたいと今のところは思えている。体力が衰えて今のようには働けなくなるとは思うけれど、少しずつ営業日数を減らしながらも人が喜んでくれるものを作っていけるなら、リタイヤはしなくてもいい。

そう考えると、今日を健康に暮らし、1杯1杯を美味しく作っていけば、将来への経済的な不安は抱えなくてもいいことになる。



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