2020年5月21日木曜日

ぽた〜じゅ屋✖️ぽた〜じゅ屋ができるまで②「ギター片手にヒッチハイクの旅へ」

高校卒業を控えた時期、

父から親族に起きた大問題が発表されました。

叔父が不動産で失敗し、自己破産したため我が家も無事ではないと。

そのせいで、父が僕の大学費用のために貯めていたお金も諦めなければなりませんでした。

そういうわけもあって、「取り敢えず大学行く」的な選択肢は無くなっていたのです。

自腹で行きたいと思えるほど、僕にとって大学は魅力的ではありませんでした。

担任の先生に「芸能人になる」と言い放ったのは、

「特に定まっていないなら、とりあえず進学すれば良い」という、

学校側のそれとない圧力をかわしたいからでもありました。

カッコよく言えば、「自由を求めて」いたのですが、

実際は「どうしたら良いのか分からなかった」のです。


卒業後、いくつかオーディションを受けてみました。

いくつかのタレント養成所にも通ってみましたが、

中々芽は出ず、「このままで良いのか」という迷いは消えなかったです。

そこで、どこかで自分にけじめを付けなければと思い、

「歌で稼ぎながらヒッチハイクで鹿児島まで行ってこれたら、真剣にプロを目指す」と決めました。

カッコよく聞こえるかも知れませんが、

当時放送されていた「電波少年」というバラエティ番組でやっていた、

お笑い芸人がヒッチハイクで外国を旅する企画に感化されただけです。

しかも、実際に決行したのですが、

行くと言い切ってから、「まだ寒い」とか「体調が、、」とか、

理由をつけては尻込みする僕に対して、

シビれをきらした友達に拉致されるように車に乗せられ、

静岡県の知らない国道に置き去りにされたのを皮切りに、

ヒッチハイクの旅がスタートしたのでした。

辺りは真夜中。

行き交う大型トラックの流れを眺めて、

「オームの群れに囲まれたナウシカみたいだなぁ」と考えているうちに

段々と覚悟みたいなものが固まってきて、

画用紙にマジックで最初の行き先を書きました。

とりあえず、静岡県で知っている地名。

「沼津」

西に向かっているのに、

その時いた場所から東側の地名。

地理の授業中、寝てたなぁ、、、、




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